ことわざや慣用句、小噺などには、動物を使ったものが数多くあります。
馬の耳に念仏とか、猫の手も借りたい、とかですね。

日本ではあまりなじみがないのですが、世界にはヤギに関することわざや小噺などが実は結構あるようなんです。
今日はこれをいくつか紹介しようと思います。

 

1.get someone’s goat

まずは英国由来の英語の慣用句「get someone’s goat」です。
これは「いらだたせる」という意味で、「He gets my goat」→あいつにはイライラさせられる のように使うのだそうです。

なんでも競馬に由来する言葉なんだそうです。
競馬馬がレース前日になるとイライラして落ち着きがなくなることが多かったため、レースの前日になると厩舎にヤギを入れて、馬とヤギが一緒になるようにしたのだそうです。
そうすると、馬が落ち着きを取り戻し翌日のレースがうまくいく、ということでこのようなことが多く行われていたのだそうです。

 

ところが、ライバルの馬主にとっては、強敵になる馬の調子を少しでも落としたい、と考えるわけで、ライバル厩舎からヤギを連れ去ってしまう、なんてことが多発したんだそうです。
そうすると、結局ヤギを失った馬はイライラして結局レースでもいい結果が残せなくなる、ということらしいです。
そのため「gets my goat」→ヤギを取られる→イライラする ということで、このような言い回しができたんだそうです。

それにしても、ヤギにこのような効果があるとは驚きですよね。
それにそのことが広く知られていて、妨害工作としてもヤギが重要視されていたなんて。
やっぱり馬にとってもヤギは安らげる存在だったんでしょうかね。
ヤギってやっぱりすごいんだなあ、と思わされるお話ですね。

なんとなくいらつく(本文と画像は関係ありません)

なんとなくいらつく(本文と画像は関係ありません)



 

2.ヤギをひき殺してしまった

続いては、旧東ドイツの小噺です。

東ドイツの政治家でウルブリヒトという人物がいました。
この人物は、白くて長いひげを伸ばしている風貌から「ヤギ」と呼ばれていたのだそうです。
当時の東ドイツにおいては、一握りの政治家などが幅を利かせている状況を疎ましく思っている人が多く、それに対してのブラックジョークなどが数多く存在したという前提で以下のお話は読んでみてください。

ある日、このウルブリヒトの乗用車が田舎道を走っていると、ヤギを轢き殺してしまいました。
そこでウルブリヒトは運転手に「ヤギの飼い主を探し出して謝罪するように」と命じました。
しばらくすると、運転手が持ちきれないほどたくさんの贈り物を抱えて戻ってきました。

ウルブリヒトは運転手に尋ねます。
「この贈り物の山はどうしたんだね?」と。
すると運転手はこう答えました。

「私はただ、『自分はウルブリヒトの所の者で、ヤギが死んでしまった』と話しただけなんです」

似たような小噺はロシアや旧ソ連でもよく聞くますよね。

ヴァルター・ウルブリヒト

ヴァルター・ウルブリヒト



 

3.ヤギと椅子

次も東ドイツの小噺です。

まず、前提として知っておかないといけない単語が2つあります。
ドイツ語で「meckern」という単語は「ヤギが鳴く」という意味なのだそうです。
そしてこの単語には「不平を言う」という隠語的な意味もあるのだそうです。

続いて「sitzen」という単語は「座る」という意味なんだそうです。
これも隠語的な意味として「牢屋に入る」という意味があるのだそうです。
これを前提として以下を読んでみてください。

 

小噺はこのような感じです。

「東ドイツの国旗に描かれる絵が一新されてヤギと椅子になった」

つまりは、不平を言うと牢屋に入れられるぞ、というブラックジョークなわけです。

当時の現地の生活状況というのがどういうものだったのか、日本に住んでいると知ることはできませんが、これがおとぎ話でもなくまだ30年ちょっと前までこのような国が存在したということが信じられないくらいです。

それよりも「鳴く」という動詞がヤギ用に特別なものが用意されている時点で日本人には驚きです。
本当にヤギというのが身近な存在なんだと思いますね。

東ドイツ国旗

東ドイツ国旗



 

4.ヤギには前から近づくな

続いては、ユダヤの格言です。

ヤギには前から近づくな。
馬には後から近づくな。
愚か者にはどの角度からも近づくな。

ストレートすぎますね。
馬は後ろに回るとものすごい脚力で蹴られて大変なことになるのはよく知られているかと思います。
馬の後ろに回るなというのは乗馬体験などでもかならず言われることだと思いますし、日本でもこれはよく言われることですよね。

 

ヤギの場合は、攻撃手段はほぼ頭突きのみです。
攻撃だけじゃなくじゃれるつもりでも頭突き。
何かを訴えかけたいときも頭突き。
しかもヤギの突進力は強くアタマも固く、ツノもあるため、ヤギの本気の頭突きはかなり危険なわけですが、日本ではあまり知られていないです。
多分ヤギの飼育経験のある人や研究や、あるいはゴートシミュレーター経験者くらいしか知らないかもしれませんね。

ヤギの頭突きの威力

 

5.ヤギをいくら洗ったとしても、ヤギの臭いはそのまま

次はエチオピアのことわざです。

「ヤギをいくら洗ったとしても、ヤギの臭いはそのまま」
ヤギって他の草食の大型動物と比べるとニオイキツイイメージってあまりないんですけど、発情期のオスは尿を体中にこすりつける習性があります。
これはメスに対して男アピールをするためだといわれています。
この時期のオスヤギはかなり臭いのだそうです。

 

ですがこのことわざはどうやらヤギについていっているのではなく、
人のことを他人が変えようとしても、変えられるものではない
という意味なんだそうです。

日本語で言えば「バカは詩ななきゃなおらない」というのと同じような感じかもしれませんが、もしかするともっと深く「他人の性質というものをかんたんに変えられるほど人の力というものは大したものではないんだよ」という意味なのかもしれませんよね。
直訳するだけだとその真意はわかりません。
翻訳っていうのはこういったことまで含め、他言語圏の人たちの生活や習慣、思考法なども理解したうえでないと正しく行うことはできない本当に大変なことなんだ、っていう教訓がここからうかがうことができる気がしました。



 

6.ヤギのキンタマ

次はコンゴ民主共和国の慣用句です。

日本においてアフリカの国というのはとてもなじみが薄く、国名も知らないことが多いです。
このコンゴ民主共和国は、1997年までザイールを名乗っていて、隣国にコンゴ共和国があります。
さらに日本では社会科の教科書にも「ザイールは銅の産出量が多くそのほかの鉱物資源も豊富な地下資源産出国である」と書かれていることが多かったため、いまでもザイールといわないと通じない人が多いかもしれません。

長期の独裁政権時代やこの鉱物資源をめぐる利権争いや民族紛争などによる内戦が続いていたこともあり政情不安な国でもあります。
最近ではエボラ出血熱の大流行などもあり、生活が不安定な人の多い国です。
隣国コンゴ共和国との区別がつきにくいため日本ではしばしば「コンゴ(旧ザイール)」や「DRコンゴ」と表記されることが多いようです。

 
さてこのDRコンゴでは次のようなヤギにまつわる慣用句があります。
ヤギのキンタマ

これはなんでしょう。
日本でもタヌキのキンタマ=大きいもののたとえ、大きなものが揺れるたとえとして使われてはいますよね。
これも似たようなものなのですが、ちょっと意味が違います。
ヤギのキンタマもなかなかに大きなもののようです。
私もまじまじと見たことがあるわけではないですが、遠目に見ても立派に自己主張しているくらいの大きさはありますね。

そんな大きなものですから日本のタヌキの例えのように、歩くたびにユサユサと前後にとても大きく揺れます。
そこから転じて
人の運命も良くなったり悪くなったりと順番にやってくるものだ
という意味合いを持つようになったのだそうです。

 

民族紛争が起きるということは、大勢力の民族が複数存在するということで、つまりは文化も習慣も言葉の使い方も地域によって大きく違うだろうということでもあります。
つまりはこれもDRコンゴ全域で等しく使われている言葉、ということではないのだとは思います。
日本のように方言的な差異はあれど大きくは全国一律の文化性を持つ、ということは外国では面積や人口が少ない国であっても決して常識ではないわけです。

日本に住んでいるとついつい忘れがちな国内での多様性というものを思い出させてくれる言葉でした。

 

ちなみにヤギのキンタマは食用としても珍味として知られています。
国内でも沖縄地方のヤギ食文化のある地域では、珍味として出てくることがあるようです。

ヤギのキンタマ

ヤギのキンタマ



 

7.説得のヤギ

次で今日は最後にしましょう。
最後はまたユダヤの慣用句です。

ユダヤ社会では交渉や説得をするときのやり方に「ヤギ」といわれる方法があるというのです。

これは、はじめにどんどん相手にとって悪い状況となる提案を出し続け、最後にスタート地点に戻すことで、相手は状況が好転したと思ってそれを受け入れやすくなる、というものです。

たとえば職場で、人が少ないと訴えている部署があるとして、増員する余地がないときに

部署長「人が足りなくて困る
上司「全体足りないんだ、あと1人ヨソに回してくれ
部署長「もっと足りなくて困る
上司「さらに全体で困ってる、さらに1人出してくれ
部署長「もうどうもならんよこれじゃ
上司「よそに回した人員返すわ
部署長「仕事が回るようになりました

こんな感じです。
スタート地点に戻っただけなのに状況が改善した、と思ってしまうわけです。
もちろんこうなるには、人が少ないときに部署で色々やりくりをしていく中で、省力化などの努力もあうことでしょう。
つまりは、こうしたことも含めて見越して上司がこのような戦術をとるのは、腹黒いともいいますが一枚上手だといえるでしょう。

このような説得のしかたをユダヤではヤギというのだそうです。

これはユダヤ教の聖職者(ラビといいます)の使用する説法の本にも書かれているそうで、もともとはユダヤの昔の民話に由来するお話なんだそうです。
村人がラビに相談した時の逸話が元なんだとか。

 村人「家の中が狭くて困ってるんだ なんとかならんかね
 ラビ「家の中にニワトリを入れなさい
 村人「家がもっと狭くなっちまったよ
 ラビ「じゃあ次に家にヤギを入れなさい
 村人「足の踏み場もなくなったよ、どうすりゃいいんだ
 ラビ「ならニワトリとヤギを家から出しなさい
 村人「家の中が快適になったよ ありがとうごぜえますだ

このようなものなんだそうです。

ちょっと中身が違いますが、契約や売買をするときに最初にこっちの予算よりも安い値段を提示して、そこから少しずつ相手の希望額に近づけていって、結局はこっちの予算よりも安い値段でも相手が納得する、なんてのもよくありますがこれも人間心理としては同じ心理を利用しているのかもしれません。

価格交渉

価格交渉

ことわざや言い回しなどというのは、地域性があり一見するとよその地域の人が見ると理解不能なものがよくありますが、実は言っていることは普遍的な物だったりします。
その背景にある文化的な違いなどを見るのはなかなかに面白いものですね。

というわけで今日は、ヤギの言葉についてでした。