世の中にはいろいろなスポーツがあります。
以前紹介したブズカシなんかはちょっと衝撃的なうえ日本人の感覚だと理解しがたいものがありましたが、これほど衝撃的ではないもののやはり日本人の感覚では理解しがたいものを見つけました。

goat tying

goat tying

カウボーイスタイルの女性がヤギを持ち上げようとしています。
いったいこれはなにをしているんでしょう。
これはアメリカロデオの一種の「Goat tying」とよばれる競技なんです。

いわゆるプロのロデオでは行われておらず、主にこどもや学生など若者向けのアマチュアのロデオ大会で開かれている競技なんだそうで、特に女性ライダーの競技とされることが多いのだそうです。

 

ルールとしては、プレイヤーはゲートで仕切られたスタート位置に馬に乗り、1.2mほどの長さの紐をもって待機して、スタートと同時にゲートが開き30mほど離れた地点まで走ります。
そこには棒に結ばれた3mほどの長さの紐でつながれた子ヤギがいます。
プレイヤーは馬に乗ったままヤギに近づきます。
ヤギの近くまで来たらそこで馬を降ります。このとき、走っている馬から飛び降りるようにして降りることが多いようです。

降りたらヤギのところへ走り、ヤギをおさえつけたままひっくり返してヤギの足のうち3本を紐で縛って結びます。
結んだらヤギから訳1メートルほど離れて手を挙げることで審判はスタートからの時間を計測するとともに、そこから6秒待ちます。

もし、6秒のあいだにヤギの3本の足の紐がほどけれなければ終了となります。
もし、紐がほどけた場合や、馬でヤギが棒につながれている紐を紐をまたいでいた場合にはペナルティとして10秒が加算されます。
その他にもペナルティが加算されるケースがあるようです。

そして、最終的なタイムが一番早かった人の優勝、というルールなんだそうです。

 

言葉で言ってもわかりにくそうなので実際の競技の様子をご覧ください。

はっきりいって日本人の感覚では何がしたいのか全く分かりませんね。

 

このほかにも、ロデオの世界にはこのようなものがあるようです。

これはBreakaway Ropingといわれる競技とRibbon Ropingといわれる競技です。
簡単に言うと、馬に乗った人が走る子牛に投げ縄を投げて、縄を巻き付ける競技です。
正確なところはわかりませんが、どうやらBreakaway Ropingは縄を単純に巻き付けるだけの競技のようです。
子牛に縄が巻き付いたときに馬を止めることで、馬の鞍に結んでいる縄が外れるようになっていて、外れるまでのタイムを競うようです。

Ribbon Ropingは、縄を巻き付けた後に牛についているリボンをとってゴールまで競技者が戻ってくるまでのタイムを競う、というもののようです。競技者は馬に乗った人のほかにもう一人徒歩の人がいて、リボンをとってゴールへ向かうのはこの徒歩の人の役目なんだそうです。

 

また、Mutton bustingというものもあるそうです。

これは、一般にロデオと言って連想する、馬にしがみついて走る、というものをそっくりそのまま羊に置き換えたもののようです。
特に小さな子供が参加するようですが、なんと「動物への親切や尊敬を促進しない」という理由で一部の地方では禁止されているんだとか。
日本人の感覚だと、ほかのロデオもまったく「動物への親切や尊敬を促進しない」という点では同じじゃないか、という気しかしないんですけどね。

 

このように、ロデオというのは「動物を押さえつける」「動物を拘束する」という方向性の技能を競うもののようです。

日本人的感覚だと、なぜこんなことをするのかは全く理解できないと思います。
ですが、広大な敷地の牧場で、多くの動物を飼育し、それを統率し逃げないようにし、かつ盗まれたり食べられたりしないように管理もしなくてはいけない、というアメリカのカウボーイ的な生活を考えると見方は変わってくるのではないでしょうか。

つまり、馬などを乗りこなすのは生活の一部なわけです。
馬から投げ縄を投げたり、馬から飛び降りてすぐに目標まで走ることも、動物にしがみついて振り落とされないようにすることも、すべて生活のために必要なことなわけです。

 

山岳地帯だと、木を切る速さや木に登る速さを競う競技などがあったりしますよね。
これもそれと同じものなんじゃないかって思います。
生活に必要な能力を競い、村のなかでの序列を決めるというのは古今東西どこででも行われてきたことだと思います。

でも、実際そのような生活と関係のない都市部の子供たちが、はたしてこれをやることに、そのような意味が今でも残っているのかという点では疑問はあると思います。
やってる人たちにしても、おそらくそのような歴史的背景など理解しないでやっていることがほとんどなのではないでしょうか。

 

ですが、再三言っていることですが、このような地域的な生活習慣などから生まれた行事や競技というのが文化というものなのです。
日本にしても、神事として始まったものが由来の祭りなどたくさんありますよね。

田縣神社(たがたじんじゃ)豊年祭

こんなのもそうですし、元をたどれば相撲だってそうです。
同じ文化性を持っている人以外にとっては、たいていこのような物はすべて理解不能なんです。

もちろん、動物愛護の点でどうなのか、という論点はあると思います。
また、競技者にとっての安全性という論点もあるでしょう。
それについての非難というのはあってしかるべきかと思います。

 

文化と動物愛護、どちらが優先するのか?
難しい問題です。
どこかで折り合いをつけるしかないんじゃないかっていう気がします。
その折り合いをつけるライン、というのがその国(というよりも地方)の文化ってものじゃないかって思います。

だから、そのラインをどこにひくかも、地方によって違うのは仕方がないことのように思えます。
(もちろん、前にも言った通り、そのことが他の地域にも影響を及ぼす問題でない限りですが)

ですので、批判するのは良いですけど、脊髄反射的に批判するのではなく、「このようなものがこのような背景で存在する」ということを認めることくらいは、まずしたほうがよいのではないでしょか。
そのためにも、自分の文化が唯一絶対である、とは考えない方がいいと思うんです。
それを理解したうえで「自分はこの文化に生きている」という自認をし、その範囲内で自分なりの判断ができればそれでいいのだと思います。

 

というわけで、今日は「Goat tying」のお話でした。